たましうむ・魂に刻まれた物語を読み解く

ペルーの旅で突然前世がみえるようになり戸惑うも、自分の前世を紐解くうち事務職会社員からカメラマンになりました。魂に刻まれた物語を読み解き、前世から引き継いだ才能・能力・課題を今の人生にいかすことについてあれこれ発信しています。※文章・写真の著作権は、たましうむ にあります。無断転載しないでくださいね。

元スパイの物語 〜その2〜

こんにちは、たましうむです。

 

元スパイの物語 〜その1〜の続きです。

 

友人との会話がきっかけとなり始まった

元スパイの話。

そういえば、そういえば・・・と

あとからあとから、スパイっぽい発言が自分から出てきて

それを聞きながら「ほぉーっ、そうなんだ。」と

感心したり「なるほどね、だからかぁ。」と思ったり。

 

”背後から近づく足音が恐怖”

”人を信用するまでに、充分な時間をかけて相手を観察する”

 

こんなことをずっとしてきただなんて。

友人から「スパイだったんじゃない?」と言われるまで

全く気付いていなかった。

それをしてるとは気付かずにいる。

あたりまえすぎて、自然すぎて

自分がそうしていることを意識することも出来ないし

そうすることが普通すぎて、自動的に行動していた、ということです。

 

前世でしていたのと同じことを、無意識に今の人生でもしていた

ということなんでしょう。

 

前世から持ち越した”才能”や”能力”があります。

そして、今の人生ではもうそれはいらないよねということや、

それどころか、自分を苦しめる原因であることもあります。

 

ソビエトでスパイをしていた

ということを、自分としては腑に落ちて

「そうだったかもね!」と思いますが

どこで何をしていたか、それは本当はどうでもいい話し。

前世の物語が正しいかどうか議論するよりも

そこはサラッと軽くとらえて

大切なことに意識を向けます。

それは「今の人生との関わり。」

今の人生で、前世から引き継いだ資質が

「必要か」「不必要か」をまず整理します。

 

無意識にあったことが意識化されると(頭で理解すると)

苦しみから解放される、ということが

退行催眠療法でよく起こることです。

 

この文章は、友人と「ソビエトでスパイだった」話しをした翌日に書いていますが

実はいま、身体から”緊張感”や”張りつめたなにか”がなくなったようで

これまでに感じたことのない身体の軽さと深い安心を感じています。

呼吸も深くなって、とにかく楽。

今までは、からだの細胞ひとつひとつの間にピーンとはりつめた糸があったのが、その糸がなくなり、細胞がぷかぷか水に浮いてるようなラク〜な感じといいますか。

 

背後から近づく足音についてはどうかな

と、今日一日を振り返ってますが

何も思い出せません。

どういうことかというと、足音を意識しなくなった

ということです。

今の人生で、足音を警戒する必要はないということがわかった、ということ。

背後から近づく足音に対する恐怖、これは今の人生に不必要です。

今は、そんな警戒の仕方をする必要ありません。

警察官でも警備員さんでもなく、わたしカメラマンですからね。

 

そして、人を観察すること

これについて考えます。

警戒するための観察は「不必要」。

一方、写真で人を撮影する時に、表面だけでなくその人の内面をとらえる時に前世で培った観察力を使うことは「必要」

 

前世で培った資質を知ったら、それを今の自分がどう使うか

頭で整理して理解すること、これが大切なことだと思います。

自分を苦しませるような使い方はやめて、

役立つことは”このように使おう”と改めて意識する。

前世でその資質を磨いてくれたことに感謝して

資質・能力を存分に使っていく。

前世で培ってきたことですから、意識して使っていけば

才能としてさらに輝いていくものです。

 

こんなふうに、自分の資質と向き合うことが

自分らしく生きること、自分の才能や能力をさらに輝かせて多くの人々に提供し、

調和して響き合うことに繋がっていくのでしょうね。

 

 

 

 

 

 

元スパイの物語 〜その1〜

こんにちは、たましうむです。

この夏は本業が忙しく、ブログがすっかりご無沙汰になりました。

秋の虫の音を聞くようになると

暑い夏が終わったんだなあと、心も身体もホッとします。

 

さて、今日書くことは

親しい友人のとの会話から

結果として、いつのまにかリーディングへ突入という 

ある日のことについてです。  

 

舞台鑑賞好きの友人に

ある新作ミュージカルを「これ観に行く?」と

聞いたことが始まり。

どんな内容?と言いながらチラシのあらすじを読むと

友人は「私、近代の戦争ものを観れないからやめておく。」

と言う。理由を尋ねると

「舞台に入りこんで観るからだと思うけれど、胸が苦しくなって観ていられない。」

とのこと。

 

私も以前似たような体験をしていて

ソビエト時代が題材の舞台を観た時

ズドーンと重苦しくなって

観劇後数日寝込んでしまったことがありました。

 

ソ連ってなんだか怖いんだよね。」と私。

「え?なんで?そんなこと思ったことないけど?」と友人

 

私「いや、もうね、ソ連っていうと常に見張られている感じがして怖い。」

「今でも、足音が怖くて、背後からコツコツ足音が近づいてくると、相手に悟られないように急いで距離を広げようようとするし、絶対に振り返らない。後ろからくる相手のスピードが速くて抜かされる瞬間、全身の細胞がヒヤッとする。私を抜かした後そのまま相手が私に注意を払わず歩いて行くと、心の底から安堵感が湧いてくる。背後からくる人は、ヒールを履いたお姉さんだったり、会社員さんだったりして、一度も怖い目にあったことはないし、怖い人が近づいてくるんじゃないことは頭でわかってるんだけど怖くて仕方ないんだよ。」

と、言葉がつらつらでてくる。

友人は「へー、人の足音なんて気にしたことないよ。」と笑っている。

 

そうなんだ、背後からの足音を聞いても

怖いって感じないんだ、と驚く。

 

友人は笑いながら「スパイだったんじゃない?」と。

 

「スパイだったんじゃない?」

この一言を聞いて、そういえば・・・と

幾つかのことを思いだす。

小さな頃、母に連れられて知人宅に行った時

私が子供だから、母の友人たちは私にお菓子を出してくれた。

ものすごく食べたかったけど、絶対に食べなかった。

食べたくてお菓子をじーっと見ていたけれど

どんなに勧められても私は食べなかった。

何度も同じお宅にお邪魔して、ある期間が経つと

お菓子を食べるようになった。

 

という話をすると、友人は「なんで食べなかったの?」と。

「だって、毒が入ってるかもしれないじゃない!」と私。

 

「・・・え?!」

という表情で顔を見合わせる、友人と私。

 

なんと言いますか、

これらはすべて、口をついてでてきた言葉です。

小さい時に、だされたお菓子を食べなかったのは覚えていたけれど

恥ずかしがり屋さんだったんだと思ってました。

毒が入ってるかもしれないからだされたお菓子を食べないで、信用するまである一定の期間相手を観察し、自分の中で「よし。」と判断してからはお菓子を食べる。

だなんてことを、小さな女の子がするのって変な話し。

そんな解釈、今までしたことなかった。

 

でも、妙に納得。

 

友人「スパイってカッコいいよね、帽子かぶってコート着て・・・。」

私「いやいや!違う違う、スパイは紛れるんだよ!フツーの顔して紛れてるの。帽子かぶってコート着てるスパイはいたかもしれないけれど、映画や舞台でスパイってわかりやすいようにしてるだけだよ。スパイは紛れてる、人と何か違うって悟られたら終わり、フツーに生活してるんだよ!!!」

なんだか、口からつばでも飛んでそうな勢いで語り出すわたし。

 

ここまでくると、どんどん言葉がでてきて

それを「へえーっ。」と私自身も驚きながら聞いている感じ。

 

私「今でもね、人と話してると、ものすごく観察してるよ。本心を見抜こうとする。

派遣社員で働いていた時、1年間は挨拶のみのお付き合い。1年経つと、この人は大丈夫(信用できる)と思った人と相手や自分のプライベートの話しをするようになったよ。」

 

こう思い返すと、必要以上の警戒心。

そんなに警戒する必要まったくないし、周りの人や職場の仲間はいい人達だったし。

 

「あと、人の視線を感じるとサッと隠れようとするなあ。それに、よくスマホで写真撮ってる人がいるけど、たまたまそこを通りかかった時に、自分が写らないように必ず顔を背けるよ。その人は私なんて撮ってないことは知ってるんだけれど、”カメラ向けるのやめてくださいよ!”なんて思いながら顔を隠すねぇ。」

 

そういうと友人はかなり驚いて

「いつもあなたは、いろんな人と楽しそうに話したりコミュニケーションとれてすごいなって思ってたよ。みんなと仲良くできていいなーって思ってた。」と言った。

 

自分でも、そんなことしてるなんて

全く意識してなくて、自然に自動的にしていたこと。

みんなそうしてるでしょ?と思ってるくらい。

観察してるなんて思ってなくて、呼吸のように

当たり前に自然にしていたことでした。

 

わかっててそうしていたら、友達として

ちょっとイヤだなって、自分でもそう思います。

 

その友人とは、もう25年以上の付き合いになるけれど

私の話を聞き、それはそれは驚いて

「全然わからなかったよー。」と言っている。

 

「スパイとして大成功だね。」

と、ふたりで笑い合った。 

 

つづく

悪口はやめたほうがいいらしい

こんにちは、たましうむです。

 

先日、知人との会話でこんな言葉を聞きました。

「◯◯さんってどうせバカなんだからしょうがないよね。」

久々にギョッとしました。

 

悪口というものを言わないよう気をつけて数年経つので

久し振りに聞いた言葉に、驚いたのなんのって。

 

日々生活し仕事をする中で、いろいろなことがあります。

そんな時、つい心の中であれこれ思ってしまいますが

悪い言葉を発しないよう気をつけています。

 

それは、

良い人になるためでも

道徳的にいけないことだからでもありません。

 

悪口を言うということが

自分に対してストレートに影響があることを知っているからです。

その事実を知ると、恐ろしくて悪口なんて言えません。。

 

(悪い言葉を使わないでいると、だんだん、心に浮かぶ言葉も悪いもの(ネガティブなもの)がなくなってきますよ。これ、実験済み。)

 

潜在意識は人称を理解しない

と言います。

脳の、言語・知性を司るところ大脳新皮質

ニ人称(わたし、あなた)を区別しますが

大脳は人称の区別が出来ないんだそうです。

 

どういうことかというと

「あの人はどうせバカだ。」と言うと

その言葉を発した人の脳は

誰が(わたし、あなた)バカなのかを区別出来ずに

「わたしはどうせバカだ。」と

理解しちゃうんです。

他人に言ったつもりが、実は自分自身にも言っているということになります。

「わたしはどうせバカだ。」と宣言していることになる。

 

そしてだいたい、そんな発言したことは

忘れちゃってますから、忘れた頃になって

「わたしはどうせバカだ。」という体験をすることになる。

 

言葉を発してから現実になるまでに

時間の経過がありますから

まさか自分の発した言葉が原因だなんて

思いもしないのです。

 

いいなと思うところを人に言葉で伝えたり

褒めたり、感謝を伝えたり

そうすると、自分を褒めている

と大脳は理解する。

良いところを伝える、感謝している対象は

自分自身、ということになります。

引き寄せる現実も、感謝することや

褒められること、褒められる体験をする

ということです。

 

言葉を変えるのって、意識しないと難しいけれど

意識して変えるように毎日過ごしていると

あっという間に現実が変わっていきます。

そういうふうに出来てるんでしょうね。

   

言葉って相当パワフルなのですね。

 

才能と根気の話し

こんにちは、たましうむです。

久しぶりの更新になりました。

 

先日、美容室に行きまして

いつも担当いただく美容師Nさんとの会話が

才能について考えさせられる内容だったので書いてみます。

 

美容師Nさんには、4年ほどお世話になっていますが

どんな髪型にしたいというオーダーを

上手く説明出来ないにもかかわらず

「そう!こんなふうにしたかった」という髪型に

毎回仕上げてくださる、私の中でスーパー美容師さん。

時々シャンプーから担当してくれることがあり

シャンプー後は肩〜背中もマッサージしてくれますが

深〜くリラックスした脱力状態になり

すぐ立ち上がるのが困難なほど。

マッサージサロンに行っても、こんな状態になりません。

カットするハサミの音も心地良く

いつも癒されて帰ってきます。

 

天職に就いてらっしゃるんだなぁと感じる人です。

 

この頃は、4月に新しいスタッフさん数人が入ったとのことで

毎回違う新しい方がシャンプーしてくれます。

不慣れで初々しいなかにも、力加減がちょうど良かったり

思い切りの良さを感じられる人、慎重な人など

個性が様々です。

 

美容師Nさんに質問。

「新人さんたち何人かいらっしゃるけど、すぐやめちゃう人いますか?」

Nさん「いますよー。」

私「それって、向き不向きとかそういうことで?」

Nさん「いや、違うでしょうね。美容学校の同級生で一番才能あった子がいたんですけど、すぐに美容師辞めて、今はやってないですよ。才能あるなしは、あまり関係ないかも。」

私「だったら、何が必要?」

Nさん、…しばし考えて

「根気と根性、あとそれが好きだということですね〜。」

 

確かに。

 

まわりを見渡して、活躍してるみなさんは

とっても地道。

基本や基礎を大切にしていて

はたから見ると物凄い努力家さんだけど

「好きだから〜」と言っている。

 

もちろん、自分の素質を知り

向いていることを見つけることは大切だけど

結局は根気がものすごく大事、ということを

あらためて感じたものです。

 

 

 

 

 

 

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音痴は遺伝ではない

こんにちは、たましうむです。

 

音痴は遺伝である、と思ってました。

それが、遺伝ではないと知り驚いています。

 

生まれてから育つ環境がどうだったか

どんな声、音楽をきいて育ったか。

母親の声、家で流れている音楽などなど。

私たちは周りにいる人の模倣をして

発声したり、言葉を覚えていくので

幼少期の環境が関係しているそうです。

 

そうなると

直るかもしれませんね。

 

身体の機能が原因の場合もあるでしょうから

一概に言えないけど

幼少期にインプットしたものが原因で

今があるわけですから

潜在意識にある「今をつくっている原因となる信念」

それがわかれば、簡単に手放せる

ということになりますね。

 

根本原因は、幼少期かもしれないし

前世にあるかもしれない。

 

方向音痴は、前世に原因があったという実例が

ワイス博士の本に紹介されてました。

 

潜在意識を探ることで音痴は直るのか

とても興味深いテーマです。

 

いつか実際に取り組んでみたいです。

 

 

前世からの縁、はじめましての縁

こんにちは、たましうむです。

 

昨日は、叔母の葬儀でした。

母の一番上のお姉さんで、93才でした。

子どもの頃からずっと可愛がってくれて

目に浮かぶのは、優しい笑顔。

今の姿でもう会えない、声を聞けないことが

悲しくて寂しくて涙が溢れてきました。

でも、悲しいだけではなくて

小さな時に可愛がってくれた場面を

ひとつひとつ思い出しては、

大切にしてくれて有難う

愛してくれて有難う

という感謝の気持ちでいっぱいでした。

 

葬儀からの帰り道、姉と

「またおばちゃんに会いたいね。」と

話しました。

 

おばちゃんが、私たちを

可愛がって大切にしてくれたこと

愛してくれたことは、なくなることはなく

ずっと心に生き続けていくのだと思います。

 

またどこかで、関係を変えて会えるかもしれない。

国や性別、関係を変えて、また一緒になれるかもしれない。

だけど、それは、わからない。

 

「もう会いたくない!」と思っても

お互いに学び合うことがまだあるなら

再び一緒に生まれるし

「また一緒に生まれ変わりたい」と思っても

お互い学ぶことを終えていれば、もう会うことはないかもしれない。

その場合でも、お互いに愛し愛されたことは

魂に刻まれて永遠に存在し続けるのでしょう。

 

前世からの縁もあれば、今回がはじめましての縁もある。 

 

と、こんなことを書きながら

前世で一緒だったかどうかは、知る必要ないと思っています。

個人リーディングの時に

「わたしと夫は前世で一緒でしたか?」

「母とは前世で一緒でしたか?」

「子供とは前世で一緒でしたか?」

と聞かれることがあったけど

わからないことが多かったのです。

言い方を変えれば、情報を与えられない。

知る必要がないんでしょう。

 

こんなこともありました。

ペルーから帰国してすぐ

自動的に前世が見えて困っていた頃のこと。

退行催眠療法を受けた時

退行した記憶中に、私の今の知り合いが二人いました。

AちゃんとCちゃん。

AちゃんとCちゃんは、知り合いではありません。

見えた前世で、私とCちゃんは同じ仕事をしていました。

古い時代に、学校のようなところで教えていました。

生徒がたくさんいる場面で、CちゃんのそばにいつもAちゃんがいました。

その時のAちゃんは生徒で、

教える立場のCちゃんをとても慕っていました。

 

退行催眠を終えて、Cちゃんに会う機会があった時

その時のことを話したのですが

(Cちゃんは、当時、前世が見えることについて話していた数少ない友人。)

「どこかでAちゃんに会うことになると思うよ」と

私の口から言葉がでました。

 

それからすっかりそのことを忘れて数ヶ月経ち

用事があって、Cちゃんと渋谷にいました。

渋谷といえば、いつ行ってもものすごい人ごみの街。

人ごみの中で、知った顔がポンっと浮かんでました。

Aちゃんが一人で歩いていたのです!

人でごったがえす渋谷でバッタリ会ってしまった。

私は慌てて

「Cちゃん!ほら、あの、古代に先生だった時、いつもそばにいた子だよ!」

「Aちゃん!こちらは・・・えっと、友人の◯◯さん。。」

と紹介しました。Aちゃんはポカーンとしてる(そりゃそうだ。) 

ふたりは軽く会釈して、それで、終わり。

 

Cちゃんと「本当に会っちゃったね!」と驚いたけど

前世で学びが終了していたから、今回はすれ違って終わりなんだねという結論になりました。

袖振り合うも他生の縁というけれど

本当なんだなぁと感じる出来事でした。

 

結局、前世からの縁でも、今回はじめましての縁でも

意味があって出会っているのだから

今を大切に、今のその人を大切にして

学び合うことを学んでいく

それにつきるのだなあと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

自分のなかにある宝物のみつけ方

こんにちは、たましうむです。

 

何度もの生まれ変わりを繰り返し

磨いてきたこと、培ってきたこと

才能・能力。

大切にしてること、恐れていること

これはもう、本当にひとりひとり違います。

 

私たちは、様々な物語を

前世から持ち越して生まれてきています。

生まれた時から個性があり

得意・不得意・好き・嫌い・恐怖の対象など

それはそれは、いろいろです。

 

小さな頃の私たちは

自分をわかっていました。

それなのに、なぜ「忘れて」しまったのでしょう?

 

それは…

 

誰かになろうとしたからです!

自分以外の誰かに。

 

テレビや雑誌、世間の目、流行

学校教育、友達との比較、兄弟姉妹との比較

親や先生からの言葉など

そういったものを取り入れたりして

「自分はどうしたいか」

ではなく

人から良く思われるために

人から褒められるにはどうするのが良いか

人に嫌われないためにはどうするのが良いか

こんなにダメな自分は、どうしたら"普通の人"になれるか

(たいてい、ダメなんかじゃないです。

人と比較して、自分の不得意なことにフォーカスしてるだけ。)などと

「自分はどうしたいか」ではなく

「外側の価値観に自分を合わせようとし続けた」からです。

 

それで

何がなんだかわからなくなった。

 

自分は何が好きなのか

何を幸せと感じるか

得意なことは何か

何をしたいのか。

わからなくなってしまいました。

 

さて、本題。

どうしたら、"自分のなかにある宝物"を

みつけられるか。

 

それは

"自分のなかにある宝物を見失った過程"を

逆にたどればいいのです。

 

なぜかって

私たちは小さな子どもの頃は

自分をわかっていたのですから。

 

簡単に書くと、こうです。

 

〈小さな子どもの頃〉

   自分をわかっていた

    ↓

 〈何年も、何年も〉

   自分以外の誰かや、外側の価値観に合わせようとし続けた

    ↓

  〈現在〉

   自分がわからない

 

では、この過程を逆にたどりましょう。

自分のことがわかっていた、子どもの頃の自分に戻るには…

 

  〈現在〉

   自分がわからない

    ↓

  〈何年も、何年も〉

   自分以外の誰かや、外側の価値観に合わせようとし続けた

    ↓

  〈小さな子どもの頃〉

   自分をわかっていた

 

「自分をわかっていた子どもの頃」と

「現在の、自分のことがわからない状態」の間に

何かありますね。

そう、原因はこれです。

だったら、原因そのものを取り除けばいいのではないでしょうか⁉︎

 

具体的にどうするかといいますと

何年も、何年も続けてきたこと「自分以外の誰かや、外側の価値観に合わせること」それをまずやめることです。

 

「え〜、やめ方がわからない」

という方、決めるんです。

とにかく"やめる"と決める。

 

外側の価値観に合わせることをやめたら

次は、子どもの頃の自分を思い出す作業です。

 

紙とペンを用意します。

紙の一番上に

"子どもの頃、わたしが好きだったこと"

と書いて、あとは

思いつくままに書いてみましょう。

私は何をして遊ぶのが好きだった?

友達と遊ぶこと?ひとりで遊ぶこと?

家の中で遊ぶこと?外で遊ぶこと?

絵を描くこと?

 

何日かけてもいいから、たくさん書き出してみましょう。

書き出すうちに思い出すこともよくあります。

 

次の段階に進みます。

また紙とペンを用意します。

こんどは紙の一番上に

"人から褒められたこと"

と書いて、子どもの頃から現在まで

いつのことでもいいので

褒められたことを書きます。

どんなことでも!

 

「褒められたこと、ない!」という方は、

きっと、今まで人から褒められても

スルーしてきちゃったのだと思います。

だから、今日からは

人から褒められたら覚えておいて

紙に書きましょう。

 

そして、さらに次の段階です。

"今日から、誰かを褒めてみる。"

いいなと思うところを、声を出して本人に伝える。

一日3人などと決めて、毎日やってみる。

 

え、何を言ってるの?

自分のなかの宝物を見つけることと

一体何の関係があるのよ?…と思うかもしれませんが

関係あります、あります。

 

これ実は、筋トレのようなもので

"いいところを見つける筋肉"を鍛えているのです。

 

いいところというのは

その人にとっての、得意分野。

何度もの生まれ変わりを繰り返し

磨いてきたことや、自然と身につけてきたこと、

才能です。

 

人のいいところに意識を向けていると

自分のいいところに気付いたり

自然とわかるようになります。

 

私たちは、ひとりひとり持ち味が違い

得意なこと、不得意なことがあります。

自分が得意なことは、それを誰かに提供し

自分が不得意なことは、得意な人の力をかりる。

 

私たちひとりひとりが自分を知り、お互いに与えあい、サポートしあう。

こんなふうに、自然で調和した生きかたが出来たら素敵だなぁと思います。